
昨日、9年前に山口県光市で起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が広島高裁で出ました。
元少年と弁護団が新たに提示した証拠や供述が全て退けられ、一審の無期懲役を破棄し元少年に死刑判決が言い渡されました。
弁護側は即刻上告しましたが、遺族の本村洋さんにおいては応報という目的は果たせたとしても結果的に三人の人命を奪うことになるこの事件が、これからの裁判においてプラスに働くようにならなければ意味がないという旨を語っておられました。
本村さんや他の犯罪被害者・遺族の方々の苦しみや努力によって、この9年の間に被害者・遺族の救済への司法の場は少しずつ開かれてきた一方、凶悪犯罪への厳罰化も進む傾向にあります。
今回の事件の元少年も「死刑になっても仕方がないと考えるが“判例”になるのならば避けたい」ということを言っています。
来年5月からは凶悪犯罪の刑事事件裁判に一般市民が参加する、裁判員制度が行われる予定です。
この取り組みはアメリカなどの陪審員制度と比較されますが、陪審は有罪か無罪かを決めるだけ。日本の裁判員制度は量刑まで決定することになります。
その際“素人”は合議する専門家に助言を乞うことができますが、本職の裁判官は過去の判例から大きく逸脱するような判断はしないでしょう。
今回の判決は“18歳でも被害者が二人でも反省態度や状況により死刑もある”という判例を作ることになります。過去の永山事件などの“四人殺害で死刑”という判例からはグッと死刑への敷居が低くなったと言えます。
同様の事件の裁判で自分が裁判員に選ばれた場合、罪の償いのために人の命を奪うという選択をしなくてはならなくなるかもしれないのです。
ここで忘れてはいけないのは、刑事事件の被告だからといって裁判が結審するまでは被告は有罪でも無罪でもないということ。
普通の市民感情を司法の場にという目論みですが、意識せずとも最初から過ぎた勧善懲悪の感情を持って裁判に臨むのはたいへん恐いような気がします。その逆も然り。
また“判例”も物差しになるとしてもそれを守るためのものではないということ。「判例違反になる」などと、思考を停止して役人と同じことをするのでは市民の参加はいらないでしょう。
裁判の過程で知り得る情報や判決によって、裁判員が被るかもしれない心的外傷へのケアなども含め「必要だが拙速」という意見も多い裁判員制度。加えて死刑の存廃という問題などありますが、人を裁けるのは人しかいないという現実の前で、いろいろと考えてしまうこの頃です。
ちなみに私のいる県では、約355人に1人の割合で裁判員候補者に選ばれると。全国一の高確率なんだそうで。ほえぇ。
←■今日の“YouTube”/ "Guilty"キレイな女性から「有罪…」なんて囁かれたこと…ないなぁ。(^_^;
Guilty / Barbra Streisand & Barry Gibb (YouTube)1980年にバーブラ・ストライザンドがビージーズのバリー・ギブのプロデュースで発表した傑作アルバム。アルバム1曲目に収録のタイトル曲でのデュエットは大人の魅力ムンムンです♪
Woman in Love / Barbra Streisand (YouTube)アルバム『ギルティ』2曲目に収録の名バラード。改めて聴いても良いなぁ。
写真左より
『ギルティ』スーパースター同士が出会うと必ずしも良い方に転がるとは限らないものですが、これは例外とも言える名盤です♪
『ギルティ・プレジャーズ』前作発表から25年経った2005年に再び二人が作り上げた作品。こちらは聴いておりません〜。アルバム評はなかなか良いようです。(^^;テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース