
1961年の6月25日は、ニューヨークのクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードにてビル・エヴァンス・トリオによる歴史的ライブが行われた日です。この日の演奏から『Waltz for Debby』『Sunday At The Village Vangard』というジャズ史上に残る二枚の傑作アルバムが生まれることとなりました。
ビル・エヴァンス(p)、スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)という構成の
このピアノ・トリオを語る時に“三位一体”、“インタープレイ”という言葉が使われるのですが難しいことはさておき、要はベースとドラムというリズム隊が単なるサポート役になるのではなく、三人が対等の関係でお互いに影響しあい、さらなる高みを引き出してより緊張感のある演奏に昇華するって感じ方でいいんじゃないかしらん( ̄w ̄
美しいメロディーに絶妙に絡み合うリズム。特にエヴァンスはベースのスコット・ラファロに絶大なる信頼を置いていたようで、彼自身のファースト・トリオは自らが表現したい音楽を最大限に発揮できるものとなりました。
しかし運命は残酷。結成から一年半ほどの活動でジャズ史に最高の革新をもたらしたという評価を得たこのトリオですが、この6月25日のライブ・レコーディングが最後の演奏になってしまうのでした。その10日後の7月6日にラファロは自動車事故により25歳の若さで亡くなってしまいます。トリオが至高の境地に向かっていた途上での若き才能ある朋友の突然の死はエヴァンスに慟哭を与え、その後しばらく演奏活動を止めてしまい麻薬に手を出すようになってしまいます。
美しく繊細で緊張感に溢れた音楽そのもののように、彼自身も脆く傷つきやすい人だったのでしょう。その後も別れを告げた恋人が直後に地下鉄へ飛び込み自殺をしたり、愛する兄にニュー・アルバムを捧げようとしたら完成前に銃によって自殺してしまったりという悲劇の度にさらに麻薬に溺れていったのでした。
1979年、エヴァンスはマーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーバラ(ds)という新鋭とトリオを組みます。エヴァンス自身が「ラファロ、モチアン時代に匹敵する」と称したトリオでした。長いキャリアの間に様々なミュージシャンとの共演を経ても、目指した形は在りし日の6月25日の三人の姿だったのかもしれません。
新メンバーに全幅の信頼を寄せたエヴァンスですが、この時にはもう長年の麻薬の使用により体は回復不能なダメージを負っていました。
己の死期を知っているかのように精力的な演奏活動を続けるも、1980年9月9日から14日の予定で行われたニューヨークのクラブ、ファット・チューズディでの演奏中の11日、ついに力尽き、4日後の15日に亡くなってしまいます。享年51歳。
これまた一年半ほどの活動だったエヴァンス最後のトリオは、急いでその完成形を見い出そうとするが如く自らの死の直前までライブを続け、一枚もスタジオ録音盤を残すことはありませんでした。